自分で選んだはずの道だった


小学校4年生の頃

勇気を出してはじめて母親に願った。

何故そう思ったかは

今となってはわからない。

ただ、きっとはじめでの

ダダではないお願いだった。


はじめて自分の意思で

やりたいことを、

やりたいと言った。


あれは春だったのだろう。


風は妙に冷たく頬をかすめたり

急に暖かく背中を温めたり、

とにかく行きたくない心がこじれた日には、

帽子を目深にかぶって、

雨を凌ぐ姿でそこへ向かった。

楽しいと感じる貴重な日には、

綺麗に磨いたスパイクで

これでもかと大きな声で白球を追った。


ある日

僕がそこへ向かう途中

友達とも言えぬ

それでいて知り合いだけとも言えぬ

仲間たちが仲間達に会うために、

自転車ですれ違って、僕を追い越し消えた。


一瞬の出来事に悲しくなった。


自分で選んだ自由に拘束された自分。

どこにでも自由に行ける時間を持った人。


それでもやがて、

グランドに着けば、

いつもの仲間がいつものように迎えてくれて、

僕も同じように、仲間を迎えた。



みんなおんなじ気持ちで、

グランドに立って白球を追いかけたいたことを

知ったのはそれから遥か随分未来のこと。


何故そんな気持ちになったのか。

今となってはわからない。


でも


あの時のおまえの気持ちは

ずっと忘れず大人になったよと

伝えてあげたい。


あの日の冷たい風も

暖かい背中も全て、

今日の僕の自分で選ぶ道の

道しるべになっているんだ。


帽子を目深にかぶった僕に

すれ違うなら、

きっと伝えてやりたいんだ。